今日の内容は、今日いただいたクライアント様からのメールにお答えした形のものですが、

皆さまにも、お役に立つのではと思い、皆さまに宛てたブログに書くことにしました。




感情は、味わい尽くすと良いと、何年か前に聞いたことがあります。

それは、【感情】を【感覚】として味わい尽くすというものです。


どういう事だろう??

今度、何か激しい感情が現れて来た時に試してみよう。

と思ったのですが、自分の感情に翻弄されるほどのショックな出来事が起こって

来なかったため、なかなか、試せずにいました。



すると、ある日。

激しい、雷雨の日。

私は、家で一人。

どんどんと激しさを増す雨、風、雷に「怖さ」を感じておりました。

一人で心細い・・・、遠くでの雷音が、ドンドン近づいて来る・・・。


そして、とうとう、ごくごく近くで絶対に落ちたと感じる、「ドッカーン!!」という

凄まじい雷音が部屋中に響き渡りました。



近くで落ちたと思った【恐怖】と、とにかく地響きまで感じられる音の凄さに【驚き】、

心臓辺りが「ドッキーン」と激しく動揺したのです。それは、痛さを感じるほどのショックでした。

感情としては、とにかく「怖い」。


でも、恐怖を感じながらも、ある部分では「チャンス」という思いが現れて来たんです。


そうです。


この恐怖の【感情】を【感覚】で味わい尽くすチャンス到来。と思ったのです。



雷音とともに、一気に湧き出した胸の痛みを、静かに目を閉じて感じてみました。


すると、

湧き出して来たその感覚は、ゆっくりとゆっくりと、また、胸にスーッと

戻って行ったのです。


そして、胸の奥の奥の出口みたいな所から、どこかに出て行ったように、

その【感覚】は、私の身体から消えて行きました。

そして、気が付くとその時には「恐怖」「怖い」という【感情】もスッカリなくなっていたのです。


その日、その後も何度か大きな雷音がしたのですが、

その時のようなショックを受けることはなく、

それどころか、あれ以来、雷を怖いと思うことも、音の激しさに驚くこともないのです。



不思議だな~と思いましたが、


人は、それぞれに、自分が感じたい、経験したいとセッティングしてある感情があって、

それを感じ尽くすと、その感情体験は、「はい、これでOK!!」ということで、もう、味わう必要が

ないのではないか・・・。



心で感じ尽くしても良いのだが、

心=身体

なのだから、身体の「感覚」で感じ尽くしても良いのではないか・・・。



風がどこかから吹いて、どこかに去って行くように、

感情も本当は、感じるままにしておけば、必ず、どこかに去っていくのではないか・・・。




そして、「怖い」「恐怖」などの【感情】を、後々も引きずりその感情に翻弄されるのは、

その時に、消化しきれなかったものが頭に記憶として残ってしまい、

頭が勝手に、そこを起点としたストーリーを「妄想」という形で、

おもしろ可笑しく展開させている結果なのではないかと・・・・、


と思いました。




そして、雷の音を聞いた時に、それまでの私がして来たことは、

音がした瞬間から、

「怖い、怖い。嫌だ、嫌だ~~。」

と、どうにかその感情を感じなくて済むように、払いのけることだったことにも気づきました。




この体験から、

感情的に揺さぶられることがあると、身体の感覚で捉えるということを行っています。

身体で感じるとともに、

「怖いね、怖いね。私、今、凄く怖いと思っている。怖いね~。」と、

自分の気持ちを抱きしめて上げています。


自分のインナーチャイルドに「怖い」という感情を残さないために、

その時に、その場で、自分自身の愛で癒してあげているんです。



私の場合は、この方法で、同じ内容のことで同じ感情に悩まされることが、

殆ど、なくなりました。

吉川さんだから特別。と思うかどうかは、その人次第です。




「怖い」と思っているのに、

「怖くない。」「しっかりしなくっちゃ。」「大丈夫、大丈夫。」なんて励ますのではなく、

これが、私の思う、自分自身を愛することです。



「怖い」と思ったら「怖いね」

「寂しい」と思ったら「寂しいね」

「痛い」と思ったら「痛いね」


と、自分自身に言って上げるのです。


自分自身を自分で抱きしめて上げるのです。


自分自身を抱きしめられない人に、他者を抱きしめて上げることが出来

るでしょうか?


自分への愛の深さが、他者への愛の深さです