昨日の

「読む」のは、実は大の苦手でした。 の続きです。



なぜ、この記事を書こうと思ったかというと、

花道家の川瀬敏郎さんが、

本当の好きとは、苦手や嫌いなところも好きになって初めて「好き」と言えるのではないか。

というようなことをテレビでおっしゃているのを聞いて、書き始めました。

そう言えば、高校時代の国語の先生が、物事を好きか嫌いか判断するのは、

その物事をとことんやった時に分かる・・と言っていたな~。。。




話を戻して・・・、


自分の意思には関係なく、朗読を始めた私ですが、

目的としては、朗読を学んだことのない私が朗読を始めるにあたっての修業。


今なら、修業なんて言葉は使わないですね。

今なら「神様の導きのままに」「宇宙の意思に従って」などの言葉を使いそうです。


以前の私の(と言っても社会人になってから)何か行動を起こすキッカケは、

そうする理由や意味や目的などがある、もしくは、誰かに言われたから

などの外からの働きかけがあって初めて行動に移せていました。

だから、この時も「修業」と位置付けて目標回数に向けて進んでいたんですが、



一度だけ、

「よしかわさんは、朗読ボランティアをしてどうするつもりなの?

この先、何につなげていくつもりなの?」

と聞かれたことがありました。

しかし、そこには、答えられませんでした。




朗読ボランティアの期間中は、大変と思うことは本当に色々とやって来ました。

それを綴りだすとキリがありません・・・。



朗読だけに限って話を進めると、

そこにも数多くの学びがやって来ました。

初めてすぐ「受け入れる」というテーマが自分の中に設定され、

(そうしなければ、朗読が出来ない未熟な自分だったということです。)

全てを受け入れて前進するということを学んで行きました。

ただ、この頃は、外の出来事に対し、「受け入れる」姿勢でしたが、

*もちろん、ここから得たものも沢山あります。

これは、内側の自分に対しての「受け入れる」姿勢の始まりでもありました。



そして、苦手な朗読・・・

本当ならここで、もの凄く練習しました。と言えればカッコイイかもしれませんが、

嫌なものの練習って、本当に出来ませんね。

ただ、これは、死ぬほど(必死で)練習はしていないという意味で、

「まあまあ、どうにかなるだろう。」

と思うぐらいにまでは、練習を重ねて行きました。




でも、今思えば、これで良かったと思います。

もしも、死ぬほど練習をしていたら、私の性格上、

「もうあんな苦しい思いは絶対にしたくない。」と思って、朗読を手放していたと思います。

神様は、私には、そんな根気がないことを良くご存じなんです。

だから、人から見ると「もっと出来るのに。」とイライラするようなことがあっても

自分のペースが大切なんです。

* 以前は、もっと欲を出せばいいのに。って良く言われていました。
考えてみると、2年ぐらい前まで言われていましたね。「もっと、やれば出来るのに。」って。
今の私では、ダメですか??


でも、一つだけ言えることは、

一回、一回、上手ではありませんが(これは、今もです。)

その時出せるものは、出して来た。

と思っています。

それが、予期せぬギフトに繋がっています。

詳しくは、こちらを⇒子どもたちからのギフト




冒頭にも書きましたが、

朗読の目的は、朗読を学んだことのない私が朗読を始めるにあたっての修業。

では、ありましたが、結果は全く想定していませんでした。


言葉通りだと、「朗読を始められる自分になるため」←これが、求める結果なのでしょうが、

それが、どういう状態かは、全く、分からずにやっていたお陰で、

思ってもいなかったミラクルを神様や宇宙が運んでくれたのだと思います。

この先、Kowaneエネルギーに気づいていくプロセスでもあったのですから。


私は、具体的に結果をイメージしても、自分の頭で考える範囲内のことなので、

限界のあるちっぽけな結果しか用意できません。

手に入る結果を見つめるのではなく、今を見つめる。

導きのままを行くということは、用意してくれている結果を有難く頂くということです。


でも、それは、自分で考えても到底及ばない、素晴らしいものなんです。

神様や宇宙とは、そういう存在です。



続く・・・。